"出世街道"演歌旅11


長男の貴弘が生まれたのは、昭和40年12月。
東京・世田谷の病院で出産しましたが、難産でした。
逆子ではなかったけれど、あおむけに生まれてきて大変でした。
結婚後もレコードが売れ、出産直前まで仕事が入っていたので、きつかったですよ。
妊娠が分かってもすでにスケジュールがびっしりで、降りることができませんでした。
初夏の浅草・国際劇場のワンマンショーのころまでは大丈夫でしたが、7月のハワイ公演のころからは、おなかが目立ちはじめました。
さすがに10月の大阪・新歌舞伎座の1ヶ月公演では周りが気遣ってくれて、歌と座長芝居の2部編成のうち、動きの多い芝居の出番を減らしてくれました。
大晦日の紅白歌合戦は、もちろん出場を辞退しました。


息子の貴弘は今、42歳。結婚して二人の小学生の親で、千葉で暮らしています。
仕事はJBL(日本バスケットボールリーグ)の通訳兼マネージャーです。
貴弘には申し訳ないことをしたと思います。
夫婦ともに不規則な仕事で、一般家庭のような子育てではありませんでしたから。私が自宅に帰るのは深夜で、お手伝いさんが母親代わりです。
地方の仕事で2ヶ月間会わないこともありました。
主人と相談して、子育ては「甘やかさないでしつけは厳しく」と決めました。
私は怖いけど優しいママ、を心掛けました。
貴弘が生まれた翌年、今住んでいるJR品川駅に近いこの土地を買い求め、家を建てて、新宿の賃貸マンションから引っ越しました。
当時、地価は一坪30万円。今は坪600万円です。
広さは約380平方メートルあります。


子供の幼稚園は自宅に近い私立の森村学園を選びました。
エスカレーター式で高校まで森村です。
入園試験の面接には、化粧もせずつけまつげもしないすっぴんで、目立たない洋服で行きました。
逆に、一般のお母さんの方がしっかりお化粧して着飾り、派手なぐらいでしたもの。
経済的に恵まれた親御さんが多く、夏休みは家族そろって海外旅行や別荘、リゾートホテルへ、が当たり前。
「列車は当然グリーン車」といった同級生が大半でした。
うちはそういうことはしませんでしたね。
中学、高校になっても「筋の通らないお金は絶対に渡さない」を貫きました。
大学はアメリカのペンシルバニア大に通って、帰国して上智大の受験に落ちて、結局サンフランシスコ大を卒業しました。

貴弘は一度も芸能界とかかわったことはありません。
歌の世界で成功したといわれる私でさえ、とても苦しい思いをしました。
子供には、この業界に目を向けさせないよう心掛けました。
芸能界のお子さんの薬物事件が報じられるたび、息子が恥ずかしくない人間に育ってくれたことに感謝しています。
紅白歌合戦の出場は41年の通算3回目が最後でした。
42年は私も周囲もまさか落ちるとは思っていませんでした。
この年、出場者が発表された日の深夜、美空ひばりさんから電話が入りました。

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