"出世街道"演歌旅12 美空ひばりさんとのエピソード


昭和42年、NHK紅白歌合戦の出場者が発表された日の深夜、美空ひばりさんから電話が入りました。
「ヒット曲を出し、人気のあるみどりが落ちるのはおかしい。納得できない。」と言うのです。
しかも、田中角栄先生に電話して、「NHK会長に再考するよう、田中先生から申し入れるように頼んだから」ですもの。
びっくりしました。
当時は佐藤栄作首相の時代で、田中先生は大蔵大臣や自民党幹事長を歴任されたあとです。
実際、どのようなやりとりがあったかは分かりませんが、大スターのひばりさんから電話をいただくだけでも感激でした。
当然ですが、紅白出場はかないませんでした。


ひばりさんとお母さんの加藤喜美枝さんには、本当にかわいがっていただきました。
ひばりさんは昭和12年生まれで、私より2歳お姉さん。
身長は私が149cm、ひばりさんが148cmと二人とも小柄で似ているんです。
同じコロムビア専属とはいえ、もちろん、私の人気が出てからのお付き合いです。
10歳の時、「悲しき口笛」を聴いて以来の大ファンです。
私はひばりさんを「お姉ちゃま」と呼んで、甘えさせていただきました。

目黒区青葉台のひばり御殿には、何度もお招きいただきました。
小林旭さんと離婚された後でしたから、寂しかったのかもしれませんが、お酒はよく飲まれましたね。
高級ブランデーのレミーマルタンをひと晩で2本も空けるのですから。



実は私、ひばりさんとキスをしているの。
後にも先にも、女性とキスしたのはその一度だけです。
横浜にひばりさんが経営していた「おしどり」というクラブがあって、遊びに行ったとき、ダンスに誘われました。
踊っている最中、いきなりですもの。あのときは驚きましたね。

浅草の国際劇場で開いた私のデビュー5周年のリサイタルにも、お姉ちゃまは特別ゲストとして出てくださいました。
お祝いにレコード対象受賞曲の「柔」を歌ってもらって、私が踊りました。

ひばりさんの出演料ですか。
お礼のお車代として10万円をお包みしただけです。

この時のほかのゲストは、堺正章さんやかまやつひろしさんがいたグループサウンズのザ・スパイダース、ムード歌謡の和田弘とマヒナスターズでした。
40年以上も昔のことです。懐かしいですね。



ひばりさんが亡くなった平成元年6月24日は、生涯忘れることはないでしょうね。
私は朝起きて、主人から「ひばりさんが亡くなった」と聞きました。
その日、テレビの生番組を終えて、青葉台のお宅に直行して、お別れしました。

葬儀は東京・青山斎場でした。
出棺の時、大勢のファンの「ひばりちゃん」の掛け声が今も耳に残っています。
正直、うらやましいと思いました。
52年の短い人生でしたが、ひばりさんほど密度の濃い生涯を送った人を他には知りません。
天才以外の何ものでもないと思っています。

私は芸能人でもう一人、女優の吉永小百合さんと深いご縁があるのです。


"出世街道"演歌旅13へ 

inserted by FC2 system