"出世街道"演歌旅8


デビュー翌年の昭和38年は、「さてそれからと言うものは」「女侠一代」など、新曲がほぼ毎月発売されました。
この年は新曲17曲を含めて、シングルと4曲入り4,50枚、民謡やLP盤約20枚の合わせて6,70枚のレコードを出しました。
作詞・作曲も恩師の星野哲郎、市川昭介両先生ばかりでなく、作詞に石本美由起、西沢葵、作曲に遠藤実、上原げんと、船村徹といったベテランや新進気鋭の先生方の作品が加わりました。
コロムビアが若いディレクターを育てるために、人気歌手とさまざまな先生方を組み合わせて新曲を世に送り出し、LPの企画などを担当させるからです。


自宅の大きな郵便受けは毎日、全国から寄せられるファンレターであふれ返りました。
「結婚してほしい」と熱烈なプロポーズの手紙が相次いだのもこのころです。
そんな忙しいさなかの6月、港区から世田谷区等々力の一戸建ての借家に引っ越しました。
東京では、オリンピックを翌年に控えて首都高道路の工事などが急ピッチで進み、街の様子が大きく変わっていきました。


この月、私にとって初めての競作「東京五輪音頭」を発売しました。
日本中に流れ、盆踊りの輪が広がったあの曲です。
はあー
あの日ローマで
ながめた月が・・・
作詞は宮田隆先生、作曲は古賀政男先生です。
コロムビアは私とサブちゃん(北島三郎さん)のデュエットでした。
テイチクが三波春夫さん、ビクターが橋幸夫さん、キングが三橋美智也さん、東芝は坂本九さんが歌いました。
どういうわけか、全国どこへ行っても流れていたのは三波さんの歌声です。
やっぱり、「お客様は神様です」に圧倒されてしまった感じでしたね。
残念なことですが・・。


年の瀬を前に「NHK紅白歌合戦初出場、決定」の吉報が届きました。
前の年、期待の声が高かったのに落ちているので、私はもちろん、周囲の喜びも大きかったですね。
紅白の格と権威みたいなものが大きい時代でしたから。
私と同じ初出場組はサブちゃんや舟木一夫さん、倍賞千恵子さん、三沢あけみさん達でした。
司会は白組男性がNHKアナウンサーの宮田輝さん、紅白女性は江利チエミさん、。
俳優の渥美清さんがオープニングで聖火ランナーに扮して、五輪の開会式風の演出でした。
エンディングの曲も恒例の「蛍の光」ではなく、「東京五輪音頭」だったのが印象に残っています。


私は村田英雄さんの「柔道一代」との対戦でした。
初出場の感激で泣く方もいますが、「出世街道」をしっかり歌い切りました。
しかも、歌詞の最後を「どうせ今夜は紅組の勝ち」と替え歌にしたんですよ。
この年は紅組が勝ちました。
忙しさと緊張とでよく覚えていませんでしたが、この時、私たち夫婦が後に仲人を務める吉永小百合さんとご一緒しています。
小百合さんは2回目の出場で、かれんな踊り子の扮装で「伊豆の踊り子」を歌ったんです。


"出世街道"演歌旅9

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